Be Active!

走る度に新しい扉が開く。 だから、走るのは辞められない。(下井香織さんVol.1)

LINEで送る
Pocket

今回インタビューさせていただいたのは下井香織さん

『FRaU』編集部にて20年近く美容ページを担当。数々のコスメ、スキンケア、メイクなどの企画を担当する美容エディターとして活躍。運動嫌いだったにもかかわらず、2008年の東京マラソン出場を前にランニングライフをスタート。自身のランライフを充実させたメソッドの数々を雑誌のページでも紹介し、人気のランニング特集も担当する。出産後は、書籍編集部に異動し、現在はフィジカル、ランニング、食を中心に書籍の編集をおこなっている。自身のランを変えた理論をギュッと詰め込んだ『骨格ランニング(鈴木清和著)』が、9月9日(水)に発売予定。

 

走る度に新しい扉が開く。
だから、走るのは辞められない。

 

_今日はよろしくお願いします。

 香織ちゃんは、よく「運動は苦手」っていうけれど、
 今でもスポーツに対する苦手意識ってありますか?

今でも基本的に「できない」って思っています。
とくに瞬発力が必要だったり、ギアを使うスポーツは「できない」って思う。

たまたま普通の体育の授業がない中高時代を過ごしたのと、
部活経験がないこともあって、走ったのは小学校の運動会が最後。

そのかけっこも、ずっとビリだったし、
「わたし、ビリだな〜」って記憶しかないから。

テニスなんかも、ボールを打たれたら返せない記憶しかなくて。
だから、苦手っていう以上に、人と一緒に運動すると迷惑かけてしまう、って思いが強いのかもしれない。

_よく「走ってみよう!」と思ったよね。走り出したきっかけは何だったの?

8年前当時、フラウがすでにランニング特集をしていたこともあって、
編集部内でちょっとしたランニングブームがあったんです。
わたしは美容担当だし、かなり遠巻きに見ていたんだけど。
もうね。とにかく毎日、毎日、わたしのデスクに来て、
「香織さんも走ろうよ」って誘う同僚の友人がいたの。
もうね。毎日、毎日、わたしは断るわけ。
「パリで走れるならね〜」とか、ときに無理難題を吹っかけたりして。
だって、かけっこはビリなんだから! 走れるわけがないでしょ、と。

だけど、彼女は諦めなかった(笑)。
でも、わたしも引かないから、けんかみたいになってきちゃったのね。

_その友達、すごい根気強い!

走ったら、絶対に楽しい! って揺るぎない自信だよね。
逆にわたしも、走るなんて無理! って揺るぎない自信(笑)。

でも、仕事も遊びも一緒だった友人と、
こんなことでけんかをしちゃうくらいなら、
一度走ってみて、「ほら、やっぱりダメでしょ」
って分かってもらったほうがいいと思ったんだよね。

「スニーカーも持ってないし」と言ったら
「スニーカーじゃなくてランニングシューズだから!」
と怒られながら、アディダスストアに連れて行かれて。
それまでの人生でまったく縁のなかった
シューズとウェア一式を購入したわけです。

_走ってみよう! じゃなくて、仕方ないって感じだったんだね。

もう一刻も早く、走れないことを分かってもらおう! 
そう思って、さっそく翌朝、いざとなったら歩いても帰ってこられる、
ということ前提で、自宅から1キロぐらいの距離にある
1周1キロ程度の公園まで走りに行ったんです。

_そうしたら?

走り始めてすぐに「あれ? 気持ちいい」「あれ? 楽しい」みたいな(笑)。
歩いて帰るつもりが、気づいたらずっと走ってました。

とにかく風を切る感覚が気持ちよくて。
それで、毎日走り始めたら、今度は友人のほうがどん引きしていたけれど。

とくに、走り始めたのが真夏だったから、
「この暑い中、毎日走るなんて信じられない!」と。

でも、本人的には、苦しくない程度に走っているし、
毎日少しずつ距離が伸びていくのが楽しくて、ワクワクしたんです。

_走ることが楽しい! って最初から感じられるってすごいと思う。

もともと「走れない」と思っていたから、
1キロ以上も走れていること自体が新鮮で!

そもそも「速く走れた」という経験がないから、
速く走ろうなんてしなかったし、歩いてもいいと思っているので
苦しくなったり、つらくなったりしようがないんですよね。
自分が「楽しい」って思える以上には頑張らなかったのがよかったのかも。

それに、ひとりのスポーツだから、誰にも迷惑かけない(笑)

_走り始めた頃って、どれぐらい走っていたの?

走り始めたのは2007年で、その時につけていた『ジョグノート』(※)を見ると、
8月1日から走り始めて、ほぼ毎日走っているんです……。
2週間後には1日で13キロとか走っちゃって。

今でも覚えているのは、この頃は、
「今日も走りに行ける♬」って、毎日ワクワクして朝起きていたのね。

運動が出来ないって思っていた自分に、新しい風が吹いた年。
とにかく、毎日が新鮮で、新しい扉を毎日開け続けて、
今日はどんな感じかな? 今日は何がおこるだろ?
今日はどれぐらい走れるかな? って、毎日が冒険みたいな日々でした。

_大人になって新しい扉が開く経験って、確実に減るよね。
 だいたい自分が出来ることしか出来ないって思っちゃうし。

そうだと思う。当時は編集者になって10年を越えたあたりの時期。
10年間ずっと美容担当で、来る日も来る日も化粧品の撮影をしていたんです。
もう出会う人たちも、大きくは変わらないし、
仕事にも慣れて、なんとなくルーティンでこなすことも多くなっていて。
おこられることも、褒められることも、あんまりない。

でも、走り始めたら、ほんの少しずつでも距離が伸びたり、
身体がスムーズに動いたり、風を切る感覚が変わったり、
確実に「昨日の自分」との変化を感じられる。成長を実感できる。
仕事では味わえない達成感がうれしくて。

 

kaorishimoi2

 

 

 

_走ったことがないと、ペースとか難しいことってなかったの?

それが、とてもラッキーだったのが、走り始めるちょっと前、
仕事でフィジカルトレーナーの中野ジェームズ修一さんに出会ったんです。
たまたま、それまでまったく専門外だった
フィットネスの企画を担当することになってしまって、
取材することになったのが中野さんで。

運動のことなんてまったく分からないし、
むしろ、体育系の人って苦手だし……と取材するまでは思ってたんです。

失礼ながら、それまでは体育会系の人は頭まで筋肉だと思ってたくらい(笑)。

でも、中野さんに取材をして、ちょっとビックリしてしまって。
ものすごく理論的で、苦手意識があった身体の動かし方の説明も
すんなり納得できた。「頭まで筋肉じゃないんだ!」と(笑)。

_「体育会系=知性ない!」って、たしかに思いがち(笑)

「体育会系の人とは話が合わない」と思っていたし、
「それまでは、身体を動かすことのベースに理論があると知らなかったんですよね。
運動ができる人は、生まれながらの天才なんだと思ってた(笑)。
パフォーマンスを上げるためには、必ず理論があるんだってことが、
わたしには新鮮だったし、また新しい扉を開けた瞬間でした。

そうしたら、編集部内でのランニングの盛り上がりを見て、
中野さんが、トレーナーを買って出てくれて、
一緒に走ってくれることになったんです。

中野さんはフォームのことはうるさく言わないんだけど、
故障を予防するためのアドバイスをたくさんくれました。。
わたし、それをすべて守ったんです。

「走る前は動的ストレッチ」「アイシングする」「寝る前には静的ストレッチ」
とか、細かいことまでぜーんぶ守ったので、
どんどん走る距離を伸ばしていっても故障がなかった、というのが、

ランニングのスタートとして幸せでした。

_また、新しい扉が開いて、フルマラソンに挑戦するんだね?

それもね。実は、先の友人が勝手に申込んでいたんです。
そういえば、生年月日とか聞かれたな〜と思っていたら、
2007年11月の河口湖マラソンの27kmの部と、
2008年2月の東京マラソンに勝手にエントリーしていたの。

_すごいなー。どんどん香織ちゃんの扉を開けるね。

初めての大会が27キロって無いでしょ?
最初は10キロぐらいだよね? とかなり抵抗したんだけれど、
またけんかになっちゃうので(笑)。

まぁ、行くしかないと思って、走り始めて4ヶ月も経たないうちに27kmのレースに出ました。

そうしたら、走っていて気がついたら、案の定、わたしのまわりに人がいない……。
やっぱり、わたし、ビリかもしれない……。
そんな気持ちで走ってゴールしたら、
なんと、女性800人ぐらいの中で32位だった……。

それまでは、ひとりで走っていたから分からなかったんだよね。
それが、大会に出てみたら、意外とわたし、速いじゃない!? と。

_初のフルマラソンは、どうだったの?

両親にフルマラソンに出ると伝えたら、
「お前、死ぬから、絶対にやめてくれ」と反対されたフルマラソンね。
なにしろ「運動はできない子」のまま記憶が止まってるから。


わたしも、走ることが楽しくなっていたとはいえ、
何もフルマラソンまで走る必要はない、と思っていて。
でも東京マラソンが当たったので、
これが最初で最後のフルマラソンだって決めて走ったんです。

_運動経験があっても、フルマラソンってハードルが高いもんね。
ご両親が心配した気持ちも、分かる(笑)

それが、初フルマラソンのタイムが「4時間33秒」で……。
これ、もう少しで4時間切ったのに〜と思ったら、ね。

_やっぱり、挑戦したくなった? 

そうだね。そう思うよね。

_香織ちゃん、初めての野心だね。

野心ってほどではないけれど、
もう少し、出来る気がしているタイミングで、
今度は、お仕事でカリスマコーチの金哲彦さんに出会うんですよ。

_また、新しい扉?

そう、新しい扉が開いちゃう。
この扉も、ランニングに誘った友人が関わっていて。
彼女が、旦那さんの転勤で編集部を辞めることになったとき、
「パリマラソンの企画を通したから、香織ちゃん、引き継いで」と。

_もしかして、「パリに行けるなら走る」ってことを覚えていたの?

そうなの!
それが、パリマラソンをモデルさんに走ってもらう企画で。
そのために事前に何度か練習会をする必要があって、
そのコーチを金さんにお願いしたことで、一緒に走ってもらう機会ができたんです。

 

_また、違う理論があったの?

それまでは、とくにフォームを考えずに走っていたんだけど、
金さんに初めて「体幹を使って走る」ということを教わって。
すごくスムーズにラクに走れる感覚をつかめたんです。

ランニング本

_香織ちゃんを見ていると、人との出会いが、
 大きな扉を開くきっかけになっているよね。

わたしはもともと運動のベースがなかったから、、
いいな、と思ったら素直に全部聞いてやってみる。
それによって、また新しい世界が見えたり、自分の可能性が開くのが楽しい。

理屈があって、その通りに身体を動かしてみると、
「ハッ! 動いた!」っていう驚きがあるから、
それが面白くて、自分で実体験を重ねているんだよね。

面白いっていうのは、わたしの場合は「ハッとする」感じ。
ワンダーなんだよ。それがほしくて走っているのかも。

_それでも、素直にちゃんと言われたことを続けるって才能だよね。

運動に関しては、自分に自信が無いからじゃないかな。
運動神経がいい人なら苦労なくできちゃうことも、
わたしは本当にできないから、教わった通りに身体を動かすしかない。
それに「本当にこれで変わるかなあ?」と疑ったままだと何も変わらない。

大人がランニングごときで失うものは何もないんだから。
素直に乗っかっちゃったほうがおトクなんですよ!(笑)

_理論通りに続ければ、結果は出るのかー。
 たしかに、香織ちゃんはずっと結果を出しているよね。
 無茶なトレーニングはしていないし、故障も少ないよね。

もともと運動に自信がある人は「これくらいできるはず」って、
頑張りすぎてしまうんじゃないかな。
経験値の中で判断しちゃうんだと思う。
わたしは、「昔はあんなにできたし」みたいな成功体験もないから、
無茶もしようがないし、自分が「楽しい」と思える範囲でしか走れない。

それでも、ベストタイムの3時間33分を出す前は、
月180キロぐらい走っていましたよ。

_すごい練習しているなーと思っていたけれど……。
 そんなに走り込む時間って、どうやって作っていたの?
 仕事だって、それなりに忙しかったでしょ?

それができちゃうんですよ。
走るうちに、どんどん体力がついていくし。
仕事の効率もよくなってたんだと思う、
走るために時間を作ることは、楽しいことだからね。

※1.ジョグノート

ジョグノートは運動で楽しくつながるソーシャルネットワーキングサービス。友だちからの招待だけでなく、誰でも無料で登録可能。ジョギング、ウォーキング、水泳、自転車などの運動記録、体重、体脂肪などを登録して、カラダの状態も管理できる。

※2.中野ジェームズ修一

3年先まで予約が取れないトップトレーナー。今年の箱根駅伝では、青山学院大学を初優勝へ導いたひとり。日本では数少ないメンタルとフィジカルの両面を指導できるトレーナーとして数多くのクライアントを持つ。また、過去の主な実績として、クルム伊達公子選手の現役復帰に貢献。全日本タイトル獲得までの体の基礎作りを主に担当。現在は福原愛選手のロンドンオリンピックまでのパーソナルトレーナーとして契約を結んでいる。

※3.金哲彦

1964年福岡県生まれ。中学から陸上競技を始め、早稲田大学で4年連続で箱根駅伝の5区(山登り)に抜擢。二度の区間賞、1985年には区間新記録をマークし同大学の2連覇に大きく貢献した。1986年リクルート入社。その後ランニングクラブを創設。ランナーとして1987年別大マラソン3位、1989年東京国際マラソン3位など活躍。1992年に小出義雄監督率いる同クラブのコーチとなり、有森裕子など数々の名選手を育てる。1995年同監督に就任。2002年ランニングクラブの草分け的存在であるNPO法人ニッポンランナーズを創設。現在は、全国各地のマラソン大会のプロデュースやテレビやラジオの駅伝・マラソン解説者としても大活躍中。

Vol.2は、9月11日(金)に更新。

扉を開け続けたら、人生が変わった。仕事も人間関係も“好き”が集まってくるなどのお話を伺っています。

インタビュー・文/坂本真理

 

この記事の著者

森村ゆき
森村ゆき
RunforSmile株式会社代表取締役。2004年に初挑戦したホノルルマラソンで、改めて体を動かす素晴らしさを体感し「より多くの人に体を動かす素晴らしさを味わってほしい!」と“スポーツ”と“コミュニティ”をキーワードに、さまざまな活動をスタート。
2005年、ホノルルマラソン完走をきっかけに友人たちと立ち上げた『PARACUP~世界の子どもたちに贈るRUN~』は、楽しみながら走ることで世界の子どもたちをサポートする仕組みをうみ、現在までの寄付額は約7000万円にのぼる。現在は、「体を動かすこと」でその人の健康を見直すきっかけを作り、「いつまでも健康で豊かな人生を送る人を増やしたい!」と、体に関するセミナーや大会の企画運営、講演、スポーツボランティアのマネジメントなどを行っている。
LINEで送る
Pocket

   
 

この記事のメッセージ、コメントお待ちしてます。